神戸地方裁判所 昭和31年(ワ)172号 判決 1960年4月12日
原告 長田清彦
被告 国
訴訟代理人 内田貢 外四名
主文
原告の請負はこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は被告は原告に対し、神戸市生田区多聞通五丁目一〇番地の六神戸市都市計画施行による区画整理楠地区第一九ブロック一号地の四の土地一〇一・四一坪を右地上に在る一、本造鉄板葺二階建バラック一棟建坪一四坪二階坪一四坪、一、木造鉄板葺二階建バラック一棟建坪一二坪二階坪一二坪、一、木造平家建バラック一棟建坪一二坪を収去して明渡し且金一三万七〇〇円及び昭和三三年四月一日より右明渡済に至るまで一ケ月金四、〇七四円に相当する金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに担保提供による仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は神戸市生田区多聞通五丁目一〇番地の一宅地三一七・九坪、同番地の二宅地一〇六・八五坪、同所五番地宅地四五八・五五坪を所有していたが、占領軍は昭和二〇年一二月六日右土地の内五一〇・八八坪を占領軍要地として接収し、右土地及び近接地の周囲に金網を張り囲らした。原告は昭和二一年四月一七日接収せられた原告の土地を実測のうえその坪数を五一九・九四坪として兵庫県渉外課に届出で、その後接収に関する事務が特別調達庁の管轄となるや、原告は昭和二五年一〇月中右土地のうち多聞通五丁目一〇番地の面積を四二三・九四坪としてこれにつき被告の機関である同庁との間に契約番号ORBR三五八四-一三九をもつて契約日を昭和二〇年一二月六日に遡り占領軍用地としての土地賃貸借契約を締結し、同日以降昭和二五年七月末日まで賃料は支払われて来たが、大阪調達局は昭和二六年七月二五日付葉書をもつて右契約を昭和二五年七月三一日限り解除する旨通知するとともに同年八月一日以降賃料の支払をしない。しこうして原告は右土地の内請求の趣旨記載の土地の外は返還を受けたが(右土地は分筆の結果、多聞通五丁目一〇番地の一と六とに表示が変更された。)同記載の土地には同記載の建物三棟存在し、訴外本岡某が居住し返還を受けることができないので、原告は昭和二五年八月一日より昭和三一年三月三一日まで一ケ月約定賃料金六一九円の割合-合計四二、〇九二円、昭和三一年四月一日より昭和三三年三月三一日までは統制賃料合計八八、六〇八円、昭和三三年四月一日よりは同一ケ月金四、〇七四円相当の損害を被つているので、被告に対し賃貸借契約解除による原状回復義務の履行として被告に対し右建物を収去の上右土地の明渡を求めるとともに昭和二五年八月一日より右明渡まで右の割合により計算した右土地の賃料相当損害金の支払を求めると陳述し、
被告の主張事実を否認し、原告は右建物の建築につき被告主張の如く承諾したことがない。右建物の所有者は不明であるが被告のものではない。尚もし清水組が被告主張の如く一時の便宜上であると否とに拘らず工事資材の置場、飯場等の仮設物建設の必要上本件土地を使用したものであればこれは占領軍の調達目的達成のための必要に出たものであるから、被告が原告と本件土地につき賃貸借契約を締結すべき必要があつたのであり又その締結は当然なさるべきことであり、被告主張の賃貸借契約無効の主張は理由がない。仮りに被告にその主張の如き錯誤があつたとしても被告が当時占領軍の調達要求書と現場を現実に対照すれば直ちにその錯誤を発見し得たに拘らず漫然賃貸借契約をしたのであるから被告に重大な過失があつたものというべく表意者である被告は自ら右契約の無効を主張することはできないと附述した。
証拠<省略>
被告指定代理人は主文同旨の判決並びに仮執行の宣言あるときはその免脱の宣言を求め、答弁として原告の主張事実中原告がその主張の頃その所有に係る土地を接収せられたものとしてその主張の如き届出をし、原告と特別調達庁との間に右土地の内四二三坪九合四勺が接収されたものとして賃貸借契約がなされたこと、原告主張の日その主張の如き右契約解除の通知があり、昭和二五年八月一日以降賃料の支払がないこと、右地上に原告主張の如き建物が存在することは何れもこれを認めるが、賃貸借契約が成立したのは昭和二四年一一月一日であり、また右建物は原告の承諾の上建築されたものである。本件土地の西隣である神戸市生田区多聞通五丁目四番地の一及び同一三番地の一宅地合計一三〇〇、〇三坪の内六一八、一一坪が昭和二一年二月二日連合国軍によつて接収せられ、連合国軍は右接収地に教会及びキャンプを建設した。右建設工事を請負つた株式会社清水組は当時本件土地を含む多聞通五丁目一〇番地の宅地四二三・九四坪及びその隣接地が罹災のまま空地となつていたので作業の便宜のため土地所有者に断りなくこれ等の土地に資材の置場、飯場等のため仮設物を建設し、これを保護するため周辺に金網を囲らしたが、右工事が完成するとともに同年末頃右仮設物を撤去して敷地を原状に復すと同時に右金網もこれを取外している。
しかるに右清水組の下請業者伊藤組に所属していた訴外本岡政雄は本件土地が接収地でないことを聞知するや、同年五月頃原告にその旨告知した土建物所有の目的で右土地の賃借を申込み原告の承諾を得て家屋の建築を始め、爾后逐次増築して現在に至つたのである。右本岡は右金網については清水組より除去の指示を受けたに拘らず本件土地の西方の部分を除去したに止まり東側及び北側の一部分は右建物の塀代用としてこれを存続し、昭和二五年末頃に至りようやくこれを除去した。
被告は昭和二三年九月兵庫県知事より終戦処理業務を引継いだがその際引継文書中に契約要否未決定のものとして本件土地を含む原告所有地の評価記載があり且原告名義の兵庫県渉外課宛昭和二一年四月一一日以降軍の使用に供することとなつた旨の同年四月一七日付届書も添附されてあつたので、当時現地を確めず、従つて前記建物の存在にも気付かず専ら右書類を基として原告届出どおり本件土地が接収使用されているに拘らず契約洩れとなつているものと誤信し、昭和二四年一一月一日原告との間に契約日を昭和二三年一〇月一日に遡り本件土地につき賃貸借契約を締結し、賃料を支払うに至つたが、後日右契約の締結の誤りであることが判明したので右支払を取止めた次第である。すなわち右契約は本件土地の接収により右土地の占有が移転されているものと措信してなされたところが未だ曽て土地の占有移転がなく法律行為の要素に錯誤があり無効であるから右契約を前提とする原告の本訴請求は失当である。
仮りに右契約が有効であるとするも、右契約当時は勿論、契約の遡及適用時である昭和二三年一〇月一日においても本件土地には既に本岡政雄が建物を所有しこれを使用していたから同人は兎角被告に原状回復義務がない。
また右本岡の土地占有は被告と請負契約をした清水組の管理不十分によつて惹起したものであるからこれにもとづく損害は右清水組が負担すべく、被告においてこれが責を負うべき理由はない。
仮りに万一被告に土地明渡の義務があるとするも、本件地上の建物は被告の所有でないからこれを収去することはできず又原告の求めるところが右建物を収去させて明渡すことにありとすればこれには第三者の協力を要するものであるから間接強制も許されず強制執行の余地はないからこの意味からも失当である。と陳述した。
証拠<省略>
理由
原告の主張事実中原告がその主張の頃原告主張の土地を接収せられたものとしてその主張の如き届出をし、原告と特別調達庁との間に右土地を四二三・九四坪と訂正し、右土地につき賃貸借契約がなされ昭和二五年七月末日まで賃料が支払われて来たこと、右調達庁は昭和二六年七月二五日付書面をもつて原告に対し同年七月三一日限り右契約を解除する旨通知すると同時に同年八月一日以降賃料の支払をしないことは当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第四号証、証人佐伯英夫の証言、同証言によりその成立を認めることができる乙第一〇号証によると被告は昭和二四年一一月一日原告との間に契約日を昭和二三年一〇月一日に遡り右土地につき賃貸借を締結したことが推認することができる。
被告は、右契約は右土地の接収により右土地の占有が連合軍に移転されているものと誤信してなされたところ未だ曽て土地の占有移転がなく法律行為の要素に錯誤があるから無効であると主張するので按ずるに、成立に争いのない乙第一号証、第二号証の一、二、三、第三号証、第八、九号証、証人佐伯英夫の証言、同証言により成立を認めることができる乙第四乃至七号証、第一〇号証を綜合すると、昭和二一年二月二日連合国軍より被告に対し教会及びキャンプ建設のため本小曽根合資会社所有の多聞通六丁目と平野線の交叉点の南東に位置する多聞通五丁目土地九二八・一二坪につき調達要求書が交付せられ、右要求書にもとづき教会等の敷地につき接収が行われ大阪調達局は右接収にもとづき昭和二二年五月一日右会社との間に右土地につき賃貸借契約をし、同年一〇月二二日株式会社清水組との間に右建物の新設工事に関する請負契約をし、右会社はその頃右工事を開始したが、右工事に際し建築資材の置場として本件土地を含む原告主張の土地の周囲に金網を張りめぐらしたため原告において原告所有の多聞通五丁目一〇番地土地四一三・二五坪についても接収が行われたものとして兵庫県渉外課にその旨の届出がなされたが、右渉外課において右届出の土地が接収されていないに拘らず右届出があつたこととて一応取調べをすることとして右土地につき賃貸借契約をすることを保留していたところ、その后終戦処理業務が特別調達庁へ引継がれ、同庁大阪支局において右届出書の内容を現地につき具体的に調査することなく契約漏れとなつているものと誤認し、前記賃貸借契約をしたが、その后調査の結果接収の事実のないことが判明したので前記の如く右契約を解除するに至つたことを認めることができる。原告の本人訊問中右認定に反する部分は措信できない。
すると被告は原告の前記届書にもとづき原告主張の土地につき接収があつたものと誤信し、賃貸借契約をしたものであつて、接収がなければしなかつたことが明かであり、右接収の有無は右契約の要素をなしているものと認められるので右賃貸借契約は要素の錯誤にもとづくものとして無効といわねばならない。
原告は、被告が当時占領軍の調達要求書と現場を現実に対照すれば直ちにその錯誤を発見し得たに拘らず漫然賃貸借契約をしたものであるから被告に重大な過失があり、表意者である被告は自ら右契約の無効を主張することはできないと主張するで按ずるに、証人佐川国夫、山脇繁治の証言、原告の本人訊問の結果によると、本件土地を含む原告主張の土地の周囲には右建設工事の際、建築資材、工事人夫の飯場等のため金網が張りめぐらされ右金網はその后も相当期間存置せられていたことが認められるので、原告としては、右土地が連合国軍により接収せられたものとして前記届出をしたものと一応考えられるようであるが、一方成立に争いのない乙第一一号証の一、二、証人佐伯英夫、垣下久仁三、本岡政雄の証言、右証言によりその成立を認めることができる乙第一一号証の三、四を綜合すると、本岡政雄は原告主張の建物を本件地上に建設する際、原告に対し敷地の賃借を申入れ、右建築につき原告の地主としての承諾を求め、右承諾を得ていること、その后右建物の立退きにつき同人と原告との間に争いがあり、土地の売買にまで進行したが価格の点で売買に至らなかつたこと、原告の右届出は原告主張の家屋が建設せられた后であり原告としては右賃貸借契約当時本件土地につき接収のなかつたことを知つていたこと並びに右金網は前記接収された土地に施されているものとは異つていたことが認められるので原告の右届出は必ずしもその真意に出たものとも認め難いので、右届出にもとづき原告主張の土地につき接収があつたものとして賃貸借契約がなされたことは被告の過失であるとするも、原告として右過失を捉え被告の錯誤の主張を許さないものとすることは信義の原則からもこれを許さないものとしなければならない。
しかも原告主張の建物が被告の所有でないことは原告の自ら認めるところであり右建物の存在が被告の責に帰すべきものであることは未だこれを認めるに足る証拠がないから、右賃貸借契約が有効に成立し、これが解除せられたことを前提とし、その原状回復義務の履行として右建物の収去を求め且つ右建物の存在により原告に損害を与えるものとしてその賠償を求める原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 乾久治 前田亦夫 大石忠生)